私のおすゝめエロ漫画⑭

R6 12月

こんにちは司祭です。”白ワンピお姉さんとバブバブ田舎えっち”という作品の読後感等を認めさせていただく。        

ばぶー。 ばーうばぶばぶ、ばーぶあぶぶばぶぶぅ。ばぶぅ、あぶあぶぶぶぅ。きゃはは、ぶぅぅ。きゃあぅ。いぃぶぶぁ、ばーぶ。えぅ、だぁむぅ。ちゃあ。あなるこ・さんでぃかりすむ。きゃわわぁ。ぶぅぅぅぶわぁ!

と、このようにピーターパンである私はいつでも幼児退行することができます。普段は抑えているんですがね、、どうしてもおねショタになるとリトル司祭が垣間見えてしまうのです。これを読んでいるそこの貴方!包容力、足りてますか?私みたいにチャージして見ませんか?1回くらいハメ外してもいいんじゃないですか。大丈夫、大丈夫みんなやってますから。

“初心忘るべからず”これは室町時代屈指のエンターテイナーである世阿弥の名著風姿花伝に綴られている今でも有名な一節です。ここからは私の解釈になるのですが、能という日ノ本の伝統の型を作り時代を越えて人を魅了してきた世阿弥は、最初を忘れてはいけない、つまり幼児退行せよと伝えているのだと思います。ですが頭だけであの頃にトリップすることは極めて困難であり、50を過ぎた母親に「ばぶー(^^)」とか、、口が裂けても言えません。そんな時のおねショタ系の作品です。実際にあるものから想像することは1から考えるよりも容易い。ついでにあの頃にすらいなかった、可愛いちゃんねーもついてきます。こんなに初心に戻れるもの、広い此岸をみてもなかなかありません。しかし1つ注意点があります。トリップ中は誰にも見られてはなりません。もし見られてしまった場合、幼児退行どころか生まれる前、彼岸行きが確定してしまいます。ですがタバコの悪い点を知らずにタバコを吸っている人はいません。それと一緒です。恥や健康を捨ててでも快感を求める鬼夜叉にしか得られないものがあるのです。

ふぅバブ

入道雲が青空を押し退け勢力をあちらやこちらに広げている戦場な天上バブ。トラクターが通れるほどの痩せている、それでも永遠と続くあぜ道バブ。生きがいと魂をその歌に込めるニーニーゼミバブ。いつか思い出せないほど前の記憶がフラッシュバックするバブ。そんな思い出がおねショタと交差するバブ。その交わりによってあるはずのないお姉さんとのバブバブイチャイチャという偽りの記憶を創出させたバブ。真偽など関係ないバブ。ウソもホントも敵も味方も、生も死も全部お姉さんが包みこんでしまうバブ。その心地よさは夏休み、縁側で首をふる扇風機の機械音をBGMにまどろんでいた頃を彷彿とさせるバブ。この作品の心地よさにいつの間にか魅了されていたバブ。お姉さんに甘やかされたい、心の深くでそう思ってしまったバブ。私に限った話ではない、大人は誰しも甘えたい気持ちを持っているはずだバブ。その気持ちを社会に置いていかれないために必死に隠しているだけなのだバブ。だが皆は勘違いをしていると思うバブ。甘えたい欲求は決して弱さではないバブ。その気持ちは生きとし生ける物全てが持っている愛情という強さであるバブ。この作品を読み、自分の中で甘えるという行為を反芻させた結果分かったことがあるバブ。大人とはきぐるみをまとった子どもなのだバブ。きぐるみ同士では抱きしめづらいじゃないか、そんな化けの皮脱いでしまおうバブ。そんな防寒もちゃんとできていない布の塊より人肌の方がきっと十分あたたかいのだからバブ。甘え方が分からない?そんなことは言わせないバブ。考えてみて欲しい、何のためにおねショタがありそして私がこの作品をレビューしているのかバブ。おねショタ系同人誌は義務教育では習うことができない甘え方を知れるバブ。言うなれば抜くことができる教科書であるのだバブ。

     

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シシカバブ

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